上高地の観光

穂高連峰や焼岳などの名峰に囲まれて息づく上高地

標高1,500mの地に、穂高連峰や焼岳などの名峰に囲まれて息づく上高地。
その素晴らしさが明治時代の英国人宣教師ウォルター・ウェストンによって世に紹介されて以来、
上高地のかがやく高峰や清き流れ、そして神秘の湖水は、変わらぬ姿で人々を迎え続けています。

上高地の真ん中に位置する白樺荘。大正池、明神池、徳沢、どこへ行くにも散策の拠点として最高のロケーションです。

白樺荘を利用して、上高地を存分にお楽しみください。

河童橋

上高地を象徴する木の吊り橋、河童橋。橋に立って上流を望めば、三千メートルの威容を誇る穂高連峰が迫り、下流を見やれば噴煙をなびかせる焼岳が控える。ケショウヤナギやカラマツの河辺林の中を滔々と流れる梓川の風景とあいまって、すばらしい展望がここに凝縮されている。

河童橋の名の由来は、昔ここに河童が棲みそうな深い淵があったため、あるいは橋のなかった時代に着ていた衣類を頭にのせて川を渡った人々が河童に見えたから、など幾つかの説があるが真相は定かでない。しかし、人影まばらな夕ともなれば、こうした伝説にうなずける神秘的な趣が辺りに漂う。

岸から梓川に降りることもでき流れに手を浸せば、夏でもしびれるほど冷たい。源流の槍ヶ岳を思う一瞬だ。白樺荘館内の水は梓川の支流清水川からひかれている、まさにアルプスの天然水である。


大正池

大正4年6月6日(1915)、焼岳の大爆発による膨大な土砂流により梓川がせき止められた。あっという間に水は上高地温泉まで達し、大正池が誕生した。その後も土砂の流出は続き、現在は当時の1割以下の規模になっている。当初、梓川湖・大正湖などと呼ばれたが、やがて「大正池」の名が定着した。昭和2年より霞沢発電所の貯水池として利用されている。

霧や朝もやの中に立枯れの木が浮かぶ幻想的な雰囲気とは対照的に、晴れた日には焼岳や穂高連峰を美しく映し、マガモが遊ぶ穏やかな表情を見せる。上高地の入り口に位置し、来る人を迎え、行く人を送る大正池。帰り道には名残惜しく振り返りたくなる景色がそこにある。


田代池

原生林の中にぽっかり広がる湿原地帯、そこに澄んだ水をたたえる田代池。浅い池にはイワナが泳ぎ、いくつかの小さな島が浮かぶ湖面は庭園のような穏やかな風景を醸し出す。夏には、イチョウバイカモの白い花が風に揺れ、ニッコウキスゲやコケモモが彩りを添える。霞沢岳を正面に、五月の新緑、十月の紅葉、晩秋の霜が創り出す幻想世界も美しい。

地下に湧泉があり冬でも全面結氷しない田代池は、以前はもっと広い水面を輝かせていたが、霞沢岳から流れ込む土砂によって年々小さくなりつつある。また、池の底に枯葉などが堆積し湿原へと姿を変えている。

自然界の大きな流れの中で青く澄んだ水面を輝かせる田代池は、はかなくも崇高な時が流れる場所。ここから仰ぐ穂高岳・焼岳もまた一幅の絵になって心に迫ってくる。


明神池

河童橋から梓川沿いを上流へ約1時間ほど歩くと、明神岳が間近に迫り、山小屋などが集まる一帯が明神。この奥まったところにある大小2つの池を称して明神池と呼ばれている。湖畔には穂高神社奥宮が鎮座し、池は穂高神社の神域となっている。(里宮は安曇野市穂高のJR穂高駅前にある)

梓川の流路が明神岳からの崩落砂礫によってせき止められてできた池で、明神岳から湧き出た伏流水が常に湧き出ているため透明度が高い。池を覗くようにそびえる明神岳、鬱蒼と生い茂る深い森、池を囲む熊笹、湖面に点在する岩など、その醸し出す雰囲気はまるで日本庭園の様。

毎年10月8日に行なわれる例大祭、通称お船祭りでは平安朝風の飾りをつけた舟が浮かび、1年の山の安全と万物永世安静が祈願される。


明神橋 明神地区

明神は明神岳の真下、明神橋を中心とした一帯で、河童橋からゆっくりと歩いて50分ほど。正面に明神岳岩峰群がそそり立ち、厳しさを際立たせるその姿に、穂高岳の尊称である明神岳が実感されるだろう。

明神には松本・上高地間の昔のメインルート徳本峠の入口があり、このため上高地で最も早く開けた一帯である。徳本峠は百年来利用され、今こそひっそりとした峠道となっているが、かつては杣人ほか、W・ウェストンらの登山家、芥川龍之介・高村光太郎などの文人墨客が歩いて明神に向かった道でもある。


ウォルター・ウエストン・レリーフ

上高地温泉の上流、梓川のせせらぎと六百山・霞沢岳を目前にした大きな岩にイギリス人宣教師ウォルター・ウェストン(1861〜1940)のレリーフがある。はじめてレリーフが掛けられたのは昭和12年(1937)。以後、第二次世界大戦の際に日本軍国主義の影響から取り外しを余儀なくされたが、戦後の昭和22年の復旧式まで日本山岳会会員の手によって秘密裏に保管されていた。

ウェストンはケンブリッジ大学卒業後、英国国教会から派遣されて27歳で初来日、以後登山家として日本各地の名峰を制覇、その記録を『日本アルプスの登山と探検』に著し世界に紹介した。上高地にも度々訪れ、日本近代登山の父として、地元でもその人柄が愛された。現在のレリーフは昭和40年に作者久一朗自身が、傷みの激しかった当時のものに代えて新たに製作したものである。毎年6月に、彼の功績を讃え『ウェストン祭』が開かれている。


小梨平

上高地が国立公園に指定される以前に小梨平(河童橋から明神方面に200mほど行った所)周辺でリンゴの栽培が試みられました。その際、リンゴの弱い根っこを補強するため小梨の根が台木として持ち込まれ、その時の台木として使われた小梨が根付き、息づいたため、この地に「小梨平」の名がついたと言われています。


徳沢

明神池を訪れる人は多いが、ここ徳沢にまで足を伸ばす人はクライマーを除いては少ない。かつて井上靖の小説「氷壁」の舞台となった上高地には珍しい開け放たれた草原は、昭和9年までは牧場だったころの面影を今に伝えている。ハルニレやカツラの大樹が点在し、樹下にはニリンソウ・エンレイソウなどの可憐な花たちが咲き乱れる。

空に目を見やれば、迫りくる山容は前穂高岳と東壁と奥白又、梓川河畔からは蝶ヶ岳も望め、開放感が胸いっぱいに広がる。

河童橋からカラマツ・コナシなどの林の中を抜けて明神池まで約50分、明神分岐から樹林帯、梓川河畔を辿って徳沢までおよそ1時間。途中には水鳥、ヒタキ類、カラ類の探鳥ポイントが点在し疲れを感じさせない。普段は登山基地として知られる徳澤だが、草原にのんびりと憩えば、心優しい原風景が待ち受けている。


新村橋

新村橋は昭和初期の名登山家、新村正一の功績を偲んで架けられた吊り橋である。前穂高岳・北尾根を正面に望み、梓川の両岸を上ってきた道がここで別れを告げ、左岸は横尾へ、右岸は登山道として涸沢へ向かう「パノラマコース」へと続く。


田代橋・穂高橋

平成10年11月に竣工した両橋は、長野県産のカラマツとヒノキだけが使われ景観に配慮してデザインされた木橋です。

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